開く、朽ちる、そして堕ちる


 リビングのドアを開けると、一斉に視線がこちらに集まる。怯えた目、期待に満ちた目、憂いを帯びた目。様々な感情が視線を通し伝わってくる。無理もない、これからこの不可解な事件の謎解きをしようというのだから。しかもその探偵役が冴えないこの俺なのだから。
 今更ながら後悔し始めた。あんなこと言うんじゃなかったかな? あきらかに俺には荷が重いんじゃ。
「まーちゃんなら大丈夫だよ」
 俺の不安に気づいたのか、凛が微笑んでくる。
 そうだな、大丈夫かはともかくもう始めてしまったことだ、もう後には引けない。ここまで来たら後は突っ走るだけだ。
 一つ大きく深呼吸するとリビングに足を踏み入れた。そしてゆっくりと一同の顔を見回す。ここ数日何度も見た顔達。だが最初よりも減っている。
「お待たせしました」
 声を掛けるが誰からも返事はなかった。沈黙は苦手なんだが、しかたない。このまま続けるか。
「皆さんに集まってもらったのは他でもありません、今回の事件の犯人が判明しました」
 俺の言葉にどよめきが起こる。皆そのことは知っているはずなのだが、改めて聞かされるとやはり驚いたのだろう。横で凛がにやにや笑っている。この状況を楽しんでいるのだろう、全く不謹慎な奴だ。
「…それで斑さん、犯人はだれなんですか?」
 凪が真剣な顔で聞いてくる。今にも俺に食らい付きそうな顔をしている。無理もない、自分のパートナーが殺されたのだから。  俺はゆっくり凪の方を向き、宥めるように声を掛ける。
「落ち着いてください、ここで犯人の名前を挙げるのは簡単ですが、いきなり言われたところで納得できますか? 順を追って話しますから、しばらくお付き合いして下さい」
「ああ…、その通りですね。興奮してしまって申し訳ない。ただまず一つだけ聞かせてください。犯人は、清香を殺した犯人はこの中にいるのですか?」
 ある意味直球なのだがしかたない、これぐらいはサービスだ。一呼吸置いてから口を開く。
「…ええ、犯人はこの屋敷の中にいます」
 再びどよめきが起こる。収まってくると、今度は泉黄が口を開いた。
「ということは、外部犯の可能性はないと?」
「ええ。犯人は間違いなくこの屋敷の住人の中にいます。冷静に考えてみたら、この島に第三者が存在するはずありませんから」
「…だとしたら、一体誰が犯人なのですか?」
 凪の目が血走り始めた。そろそろ皆の緊張も限界のようなので、話を進めるとしよう。
「落ち着いてください、その前にまずこの事件において一番の謎は何だと思いますか?」
「一番の謎、ですか? ……分かりませんね、何もかもが不明すぎる」
「そうですか、凪さん。では代わりに答えましょう。それは首の切断ですよ」
 一同の間に微かな何かが走った。それは恐怖なのか怯えなのか。
 むごたらしい死体を思い出してしまったのだろう。俯いたまま口を押さえている者もいる。
「何故犯人は首を切断する必要があったのか。その理由が分かれば、おのずと本人の姿も見えてきます」
「そ、それで、犯人は一体何のためにあんなことをしたのですか!?」
「そう興奮しないでください。お気持ちは分かりますが、しばらく俺の話に付き合っていただけませんか?」
「…申し訳ない、何度も腰を折ってしまって。どうぞ続けてください」
 大きく深呼吸をすると、凪は椅子にゆったりと座りなおした。腹を据えたのだろう。これでこちらも話しやすくなる。
「理由を説明する前に、ちょっとした講義をしたいと思います」
「講義、ですか?」
「ええ、そうです。少々退屈かもしれませんが、我慢して聞いてください、澪さん」
 話すべき内容を一度整理するため、一同の顔をゆっくりと見回す。皆怯えたような期待に満ちたような、何とも複雑な顔をしている中、ただ一人にやにやしている人物がいた。
 無論凛である。全く、俺が苦労してるのを見て楽しんでるのか?
「ミステリにおいて、首の切断には幾つかの分類分けがされています。ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、しばしお付き合い下さい」
 特に周りからの反応はない。大人しいうちにこのまま続けるとしよう。
「大まかに分けて4つの分類に分けられます。まず第一に、極度の恨みによるためです。ただ殺しただけでは飽き足らず、死してなおその肉体を破壊することにより、その怨念とも言うべき恨みを解消するためです」
 あまり反応はない。数名はその思いを想像したのだろう、さらに青い顔をして震えている。
「第2に、宗教的な理由及び、性質によるものです。実行犯の宗教、習慣によりそうせざるを得ない、それをしなくては自己を保てないゆえです。それは先天的、後天的を問わず性格、性質にも累を及びます。皆さんも幾つかは聞いたことがあるでしょう、巷を騒がした快楽殺人犯などはこの分類に分けられます」
 いまだ反応はない。内容がよりディープになったたね、理解出来ず引いているのか、思考が追いつかないのかは判断できないが。
「続いて第3ですが、何かしらの理由においてそうしなくてはならなかったためです。多少分かりにくいでしょが、殺人を行ったうえで、切断をしなくてはならなかったわけです。おもに、何かしらのトリックを施すためですね。おそらくミステリ上ではこれが一番多いのではないでしょうか。
 最後に4つ目ですが、その行為に何かしらの意味合いを含めるためです。これもさっきの続いて比較的多いですが、つまりは見立てというやつですね。首を切断することにより、何かに見立てる、修飾するためです。それが何かはその時によりまちまちなので、詳しいことは省きます。気になる方は古今東西のミステリを読んでください。幾らでもありますから。
 これで首切断における講義の全てです。理解していただけましたか」
 改めて周りを見回す。皆の顔から困惑が容易に窺えた。犯人を暴くのに何故こんな話が必要なのだろうと、訝しがっているのだろう。
「…話は分かりましたが、それがこの事件と一体どう関わっているのですか?」
「その疑問はもっともです。今回の事件でも、首を切断したということは今挙げたどれかに属する理由があるはず、と考えるのが妥当でしょう」
「そうでしょうね、それで斑さんはどれだと思っているのですか?」
「その質問にお答えする前に、もう一つ話させてください。ミステリにおいて、首を切断した場合、その首は見つかるか見つからないかの二択しかありません」
「はぁ、それはそうでしょう。それ以外に何かありますか?」
「何を言っているのかとお思いでしょうが、これが非常に大事なのですよ。例えば第1に挙げた恨みによるためなら、首はそのまま死体のそばに置かれていることが多いです。切断することで恨みを解消したのですから、その後首を持ち運んでどうこうする必要はありませんから」
 だんだんと生々しい話になってきたせいか、皆の顔が曇り始めた。俺だって好きでこんな話をしているわけではない、もうしばらく我慢してもらわないと。
「また第2、第4の場合はどちらともいえないのです。第2の場合、何かしらに理由で首を移動することに意味があるのなら、当然持っていきますし、不必要ならそのままです。見立ての場合も、見立てを構成するのに必要ならば、そのまま置かれているでしょうし、逆に邪魔であれば処分されてしまいます。ゆえに、この2つはどちらともありえるわけです。
 そして第3ですが、首を切断して用いるトリックにおいてもっともポピュラーなものは人間の入れ替わりでしょう」
「…人間の入れ替わり……」
「はい、顔と言うのは、人間を判断する上でもっとも大事なファクターの一つです。多くの人がまず顔で判断するでしょう。そのためその顔がないと、死体が誰のものか分からない、そこに付け入り死んだはずの人間が実は生きていた、などのトリックが弄されるわけです。そのため、首が見つかることは非常に稀でしょう」
「では、今回の事件の場合首は見つかっていますから…」
「第3は省けると。そう思うのが普通でしょうね。見つかった状況的に、恨みによるために見えますよね。木に吊る下げていかにもですよ、首を吊るして辱めるためならば、恨みによる犯行でも、首を持っていくかもしれませんからね。また深く考えれば何かの見立てに見えないこともないですし、そういう性癖の持ち主なのかもしれない」
「…結局分からないってことですか?」
「そうですよ、まーさんの話し方じゃどれか断言出来ないみたいな言い方ですよ」
「ええ、確かに最初はどれだか全く分かりませんでした。どれでも当てはまりそうな気がして。ですがどうにもしっくりこなかったのですよ」
「しっくり?」
「はい。見立てだとしても、まず何だか分からない。この島に何か昔から伝わる動揺や物語でもあれば別ですが、そんなものはない。また皆さんに共通するような逸話もない。性癖だとしてもよく分かりませんよね。絶対にないとは言いませんが、切断して首を木に吊るすことに興奮を覚えるって、精神異常だとしても度が過ぎてますよ。支離滅裂です。恨みだとしても、どうも中途半端な印象を受けるんですよ。死体をさらに蹂躙するのなら、もっとしても良いのでは。こうあっさりした感じが拭えない」
「確かに、言われてみればどれも当てはまるようで些細な違和感がありますね」
 そう、違和感だ。まさに違和感が問題なのだ。
「ええ、だとしたら裏をかいて何かトリックのためだったのか。だとしたら首が見つかることは意味が分かりませんよね。大体人間の入れ替わりを行う場合、意味深な双子や、素顔を隠した謎の人物なんかが出て来るものですから。この島にそんな人物はいなかったでしょ?」
 俺の言葉に皆うなずく。
「だとしたら、首の切断には何も意味がなかったのか。ただしたかったから、その場の勢いでただなんとなく…でも俺は気にしないんですが、それでは話が進みませんし、そんなことは有り得ない。それでもう一度最初から考えてみたんです。何か意味があることを前提として。結果はっきりと分かったんです。
 間違いなくトリックが仕掛けられていると」
「と、と言うことは、第3の理由であると?」
「そうです。あの切断により間違いなく一つのとトリックが仕掛けられていたんです。実際トッリクと言うほどのものでもないのでしょう。ちょっとした錯覚や誤認を誘うようなフェイクですね」
「…それで、一体どんなトリックが仕掛けられていたの? 私は頭の方はからきしだから、さっぱりわからないよ」
「いきなり話しても構わないのですが、実際目で見てみないと分からないと思うんですよね」
「それじゃ早速そこに向かおうじゃないか。どこに行けばいいの?」
 そう言うと凄い勢いでクリスが椅子から立ち上がった。今にも俺に食らい付きそうな剣幕をしている。
 だが突然その動きを止めた。見ると、下からクリスの腕を掴む一本の手が生えていた。
「…落ち着いて、斑さん、怯えてるよ…」
 以外にもその手の持ち主は人夢だった。
「あぁ。そうだね、ごめんね、斑君先を続けて」
「あ、はい。えーと、それで皆さんに証拠を見てもらおうと思うんですが、別にどこにも行く必要はありません。この場でお見せ出来ますから」
「そんなに簡単なことなのですか?」
「ええ、すぐに終わりますし、見ればすぐ分かります。ついでに犯人も分かりますよ」
 緩んできたきた緊張が一気に引き締まる。突然の宣言に皆驚いた様子である。
「それでは今からお見せします」
 俺はゆっくりと後ろを振り返る。そこにはこの部屋のドアがあるだけである。俺を見る皆の目が不思議に思っていることを伝えてくる。そのドアに何かあるのかと。
 俺は一つ深呼吸すると、再びドアに目をやった。いや、ドアではなく、その向こうにあるものに。
 そして全ての終わりと始まりを告げる言葉を声にする。
「そろそろ出てきてもらえませんか?」
 そして全てを崩壊させる言葉を。
「霧下リリスさん」


 音をたてずにドアがゆっくりと開く。その隙間から一つの人影が見える。ドアが完全に開いても誰も声を上げなかった。誰しもが見えているものを信じられないのだろう。
 ゆっくりと人影が入ってくる。淡いワインレッドのドレスが照明に映えて、その人の美しさをより際立てている。脂っ気のない髪が歩幅に合わせて揺らめいてる。その美しさ、容貌、間違いない。
「お久しぶりですね、斑さん」
「そうですかね、一日ぶりですよ」
「あら、そうでしたかしら。どうも閉じこもっていると感覚がおかしくなりますね」
「…そ、そんな馬鹿な! 彼女は殺されたはずだろ!」
「目の前を良く見てください、これが現実です、澪さん。たとえどれだけ信じられないことでも、これが絶対唯一偽りのない真実です」
「だが、僕は間違いなくこの目で見た! 彼女の死体を、切り離された彼女の首を! あれは一体何だったと言うんだ!?」
 驚愕しているのは澪だけではない。声ぞ出さないが皆驚いている。いや、俺を除いて3人表情が変わらない人物がいる。一人は凛、もう一人は架賀巳だ。やはり彼女は分かっていたか。最後の一人は人夢だ。これはただ単に感情が表に出てこないだけなのか。
 そんな俺たちの姿を見て楽しんでいるのだろうか、一人リリスだけが静かに微笑んでいる。
「澪さん、それを今から説明しますから落ち着いてください。同時に先ほどの疑問にもお答えしますから」
 納得のいかない顔はしていたが、澪は大人しく椅子に座った。
 皆の視線が突き刺さる、早く全ての真実を明かせと。
「…それでリリスさん、この場に姿を見せてくれたということは、全てを語っていただけるのですか?」
「いえ、それはあなたの役目でしょ。どうやらあなたは全てお見通しのようですから。姿を見せたのはサービスですよ。いきなり話だけされても、皆さん理解出来ないでしょうし」
 前と変わらないにこやかな笑顔で返された。これで楽出来ると思ったんだが、まだまだ面倒くさいことしなきゃならないのか。
「…それでは始めるとしましょうか。とりあえずリリスさんも座ってください。…さて皆さん一体何が起こっているのか理解出来ていない思います。ですが見ての通りです、そしてこれが全ての答えです」
「…と言うことは彼女を、清香を殺したのはりリスさん、なのですか?」
「はい、その通りです」
「!!」
 激昂した凪が突然立ち上がる。そしてリリスに向かって走り出そうとした。慌てて俺と澪が止めに入る。まさか凪がきれると思っていなかった。 「落ち着いてください!」
「凪さん!」
「止めないでください! こいつが、こいつが清香を!」
 必死で凪を宥める。突然組み合っている俺たちに影が下りる。はっと上を見上げると、そこにはリリスが立っていた。今までにない笑顔でこちらを見ている。
 まるで全てを許し包み込む慈母のような。だがこの人は間違いなくその手で人を殺めている。その時もこんな笑顔だったのか。ならばこれは悪魔の笑みなのか?
 その荘厳ともいえる美しさに思わず3人の動きが止まる。そして口が開かれる。
「…私を殺したいのならどうぞ、その権利があなたにはありますから。ですが、斑さんの話を聞いてからでも遅くはないと思いますが」
「!?」
 毒気を抜かれると言うのはまさにこういうことなのだろう。それまで暴れていた凪から急に力が抜ける。
「分かっていただけたようですね。それでは斑さん、続きをお願いします」
「は、はい…」
 とりあえず落ちついた凪を座らせる。さすがと言うのか、この人は。体が震える、こんな人に喧嘩を売った自分を今更ながら愚かに感じてきた。
「…それでは仕切りなおしたいと思います。各々思いはあると思いますが、まずは最後まで聞いてください。その後の判断は皆さんにまかせますから」
 俺の言葉に皆が頷く。凪も力なく頷く。
 一つ大きく息を吐くと、腹に力を込める。ここからが本番だ。
「それでは始めます。いきなり解答を提示してもわからないと思うので、順序をおって説明したいと思います。
 昨晩まず第1の事件が起こりました。ここにいるリリスさんに呼ばれ、俺と凛が遊戯室に向かいました。そこで1体の死体を見つけました。その後屋敷の人を全員呼んでみたところ、その死体が在膳さんのものであると判断しました。
 その場は一旦解散し、今日の朝を迎えました。そして起きると今度は研究室でリリスさん…ここにいますが、彼女の死体を見つけました。再び全員を集め確認し、リリスさんの死体で間違いないと判断しました。
 その後の捜索により、木に吊るされた二人の首を見つけた。ここまではよろしいですか?」
 一斉に皆が頷く。その様子を確認し、再び話し始める。
「ですが見ての通りリリスさんは生きています。ではあの死体は一体誰のものだったのでしょうか?」
「そう、それが問題なんだよね。間違いなく、殺されたはずの二人を引いた数の人間はちゃんとこの島に存在している。だけどリリスさんが生きていたことで数が合わなくなる」
「その通りですねクリスさん」
「つまり人が一人増えたってことだよね。問題は何時、どうやって一人増えたかってことだ。もし増えたのならすぐ気づくはずだから」
「そうです、それが今回の事件の全ての鍵を握ります。では答えを明かしましょう。その人物は皆さんも良く見知った人物です。そして最初からこの島にいました」
「見知った? でもそんなはずは…」
「いえ、知らないはずはありません。よく思い出してください。皆さん死体の首は見ましたよね。その首は良く見知ったものだったでしょう?」
「確かに、間違いなくこの目で見た、あれは確かに二人のものだった。だが…」
「ならばそれを信じることです。信じたら答えは一つでしょう」
「……まさか!?」
「ええ、その通りですよ。あの死体は間違いなく在膳さんとリリスさんのものです。いや、正確に言うなら在膳さんと…」

「リリスさんの双子の姉妹のものです」

 今日何度目の驚きだろう。俺自身のものを含めてもう数え切れない。ただ一人リリスを除いて。
「理解できたようですね。皆さんが確認した通り、あの死体は間違いなく在膳さんとリリスさんのものでした。俺たちがそれを見間違えるはずはない。だがここにその顔が存在している。全く同じ顔が二つ、ならば答えはそれしかないでしょう。間違いないですね?」
「ええ、その通りです。あれと私は双子の姉妹ですわ」
 本人が認めたため、再び場がざわめく。落ち着くのを待って、話を再開する。
「一つ聞きたいのですが、あなたがリリスさんですか? そしてあちらはあなたの…?」
「ええ、私が正真正銘リリスです。あれは私の妹のリリムですわ。まあ姉、妹など便宜上でしかありませんがね」
「そうですか、分かりました」
「ま、斑さん、どういうこと何ですか? 双子の姉妹って?」
「聞いての通りですよ、あの死体はリリスさんではなく、妹のリリムさんのものだった。そして殺したのは姉のリリスさんだった。ただそれだけです」
「それだけって…いや、そうだとしても妹さんの方はどこに隠れていたというのです!?」
「そんなものは幾らでもあるでしょう。俺達がまだ入ったことのない場所など、この屋敷にはごろごろしてますからね。今までリリスさんが隠れていることが出来たのですから、想像に難くないでしょう」
 その気になればあと10人20人でも隠すことは出来るだろう。今思えば不審者がいないはずなどない、なんてはいうのは妄想でしかない。
「だ、だが、だとしたら何のなために清香は殺されたんだ!? 変わり身がいるならそれで済むことじゃないか!」
「ご意見はご尤もです、凪さん。それを今から説明するのですよ。何故リリスさんがこんな茶番を起こしたのか」
「あらまあ、茶番とはひどいですわね。これでもなかなか苦労したのですよ」
 幾ら苦労しようとも、殺人なんてもんは茶番以外の何物でもないんですよ。でなければ認められるものか。
「まあそれは置いておいて、では始めますか。先程も説明しましたが、昨晩リリスさんに呼ばれ俺と凛が向かうと、遊戯室で在膳さんの死体を発見しました。その死体はばらばらに切断され、首がありませんでした。その後の首合わせでその死体が在膳さんのもので間違いないと判断しました。
 次の日リリスさんと思われる死体が発見されました。その後首を見つけ、二人で間違いないことを確認しました。
 ですが、リリスさんが生きていることが分かった今、果たしてこれは正しいのでしょうか?」
 何が真実で、何が真実でないのか。
「どういうことですか? 片方はりリスさんではなくリリムさんだったようですが、もう片方が在膳さんのものであることは間違いないでしょう」
 そう、それは紛れも無い真実。では。
「そうですね、ですが最初に我々が最初に見た死体は本当に在膳さんのものだったのでしょうか」
「それはどういう!?」
 それは真実ではないのか。
「結論から言いましょう。あの死体は在膳さんではなく、リリムさんのものだったのですよ。そして後から見つかった死体こそ在膳さんだったのです」
「!?」
 場がどよめく。人間というのは何度驚けるものなのだろうか。まだこの回数では平気なようだ。
「だとしても、何故そんなことを?」
「何故でしょうね。理由などなかったのかもしれませんね」
「ふざけないでよ、そんなわけないじゃない!」
「…そんなに怒らないでくださいよクリスさん、冗談ですから。考えてもみてください、たとえどんなに訓練されたプロ―そんなものがあるとしてですが―でも、果たして1時間で犯行が可能なのでしょうか? 在膳さんを殺害し、体を切断、その後死体を遊戯室まで運び首を隠す。
 これだけのことが1時間で出来たのか。おそらく不可能でしょうね。在膳さんを最後に見てから、死体を発見するまでの時間はほぼ一時間。これに間違いはありません。ですが、あらかじめリリムさんを殺し解体しておけば、ただ死体を遊戯室に運び、在膳さんの姿を隠すだけで済みます。これならば、1時間もあれば可能でしょう。おそらく、死体を切断したのは運びやすくするためでもあったのでしょう」
 リリスは未だ何も語らない。それは肯定の印なのだろうか。
「それであの晩何があったのですか?」
「では順番に説明していきましょうか。まずリリスさんは俺と凛を呼び、一緒に死体を発見する。既にこの時には、事前に殺害しておいたリリムさんの死体が運び込んであり、それを俺達に確認させる。その後死体の確認をするため3手に分かれて皆を呼びに行きました。その時俺は2階に、凛は3階、そしてリリスさんは1階に行き、皆さんを起こしに行きました。そして全員を集め、死体が在膳さんだと確認したわけです。ただ、その在膳さんが泊まっていた部屋は1階にあり、この時在膳せんが部屋にいなかったと確認したのは他ならぬリリスさんでした。
 そして俺達の行く階を決めたのもリリスさん、でしたね」
 静かにリリスが頷く。ようやくの反応だ。
「まずリリスさんが自分が1階に行くと言い、俺達を他の階へ行かすよう仕向けたわけです。そしてリリスさんはまず在膳さんの部屋に向かいました。先程確認しましたが、在膳さんの部屋は階段を下りてすぐのところにあるのですね。この屋敷の主人であるリリスさんなら、都合の良い部屋割りにするのは簡単なことでしょう。
 リリスさんは在膳さんを起こしドアを開けてもらう。そして姿を見せた在前さんをその場で襲う。リリムさんの死体を在膳さんと思い込ませているので、この時は無理に殺害する必要はありませんから、薬か何かで眠らせたのでしょう。ただ在膳さんの体をそのまま部屋に置いておくと、犠牲者の確認をした後、誰かがもう一度確認しに来たとしたらすぐばれてしまうので、在膳さんを他に運んでおく必要があります。ですがあまり遠くまでは運んでいる余裕がありません、そこで隣の部屋に移したのです。1階の部屋割りが一部屋おきに人が入っていたのも、ここまで考えてのことでしょう。その時在膳さんを引きずった後がしっかり残っていましたよ。一度隣室に運んだ後、再び研究室に運んだね。
 一度解散した後リリスさんはこっそりと、寝かしておいた在膳さんを運び殺害、死体を切断した後、二人の首を木に吊るしました。これらを行なう時間はたっぷりありますからね。誰かに見られることだけ気をつけていれば良いのですから、楽なものです」
「…でも斑君、話の筋は通ってるけど、ノックする音や運ぶさいに出る音で隣にいた凪さんに気づかれるんじゃないかな?」
「この屋敷の防音設備は異常なまでに完璧でしてね、ちょっとやそっとじゃ音が外に漏れないんですよ。つまり同時に、外の音も中に入っていかないわけです。それは一度身をもって体験しましたから間違いないです。それに床の絨毯も、毛足が無駄に長いですから、あまり音がしませんからね。ですから、隣に気づかれることはないわけです」
 何が役に立つかわからない、という恰好の例だ。
「これが昨日から今日にかけて起こった事件の真相です。さて、次に死体の切断、首の発見についてです。
 死体を切断した理由はもはや明白でしょう。リリムさんと在膳さんを誤認させるためです。首があっては何も意味を成しませんから。比較的身体つきが似ている人を選んだのでしょうが、それでも体がそのまま残っていては些細な特徴から気づかれてしまう恐れがありますから。そのため体もばらばらに切断したのです。それともう一つ、死亡推定時刻を曖昧にするためです。死亡推定時刻というものはそれほど正確なものではないのですがね。この死体が死後1日か3日か分かっても、何時何分に何て分からないものです。それでも一応の保健なのでしょう、ただでさえ司法の手が入るのも時間が掛かる上に、ばらばらにしてあれば、正確な判断は出来ないでしょうから。
 そして首の発見についてですが、先程の講義で問題点を挙げましたが、覚えていますか?」
「首の切断が行なわれ、その首が見つかった場合、それがトリックのためであることはほとんどありえない、でしたよね?」
 その通りである。優秀な生徒を持った教師というのはこんな気持ちなのだろうか。
「はい。今澪さんが言った通りです。ですが今回はあるトリックに使われたわけですね。一つは先程挙げた死体を誤認させるため、そしてもう一つはリリムさんの存在を隠し、死んだのがリリスさんだと思い込ませるためです」
 横目でリリスの様子を確認してみる。いつもの笑顔で
ただにこやかに座っているだけだ。とりあえずここまで大きな間違いはないようだ。そう思いたい。
「もうさっきからさっぱりだよ。どういうことなんだい?」
「ですからそのままですよ。もし首が見つからなかった場合、人はそこに入れ替わりトリックがあったのではないかと考える。それに基づいて調査をしたら、リリスさんに双子の妹がいたことはすぐにばれてしまったことでしょう。ですから、双子でなければ出来ない入れ替わりトリックを行ったが、双子であることがばれてしまえばすぐに犯人に辿り着かれてしまう。そのため双子であることはばれてはいけない。だから皆に首を見せ、決して自分は双子ではないと思い込ませ、入れ替わりトリックが行われたことを気づかせないようにしたわけです。
 入れ替わりトリックを行うためには首を見せてはならないが、双子であることを隠すためには見せなくてはならない。双子ならば容易く行えるトリックなのに、双子であるがゆえ、その隠蔽に奔走しなくてはならない。まさに本末転倒ですね。こういった特殊な状況でなければ起こりえないことでしょう」
 一通り俺の説明を聞いたが、誰からも反応はなかった。すでに皆の脳の処理能力を超えてしまったのだろうか。それとも到底理解出来ないような内容だったのだろうか。おそらく後者だろう、普通に生きていればこんなことに出くわすはずもない。たとえHOCSであろうとも。それゆえに理解など出来るはずもない。
 普通に生きている、生きてきた人々には決して。
「こんなところですよね、リリスさん」
「ええ、そうですね。概ねその通りですわ。細かい違いはありますが、些細なことですから。どのように採られても問題ないようなね」
 ようやくリリス本人からコメントをもらえた。大筋で間違っていなかったのは良かった。これだけもったいぶって解説したのに、間違いでしたなどと言われた日には目も当てられない。
「リリスさんが犯人でどうやったかも分かりましたが、架賀巳さんはどうなるのです? 彼女も共犯なのですか?」
「いえ、この事件はリリスさんの単独行動です」
「ですが、リリスさんに双子の妹のリリムさんがいたことはもちろん架賀巳さんは知っていたはずでしょう?」
「もちろん凪さんの言うとおりです。でなければ日々の二人の入れ替わりは出来ませんからね。ですから第1の殺人はともかく、第2の殺人が起きたときには犯人に気付いたでしょう」
「それはそうでしょうけど、架賀巳がさんが手伝えばリリスさんが隠れるのはより容易くなりませんか?」
「そうですね、でも二人の首が見つかった時の架賀巳さんの様子を聞く限り、何も知らなかったと考えるのが妥当でしょう。もちろん誰よりも早く気付いたのに黙っていたことは間違いないですが。そうですよね、架賀巳さん」
「…はい」
「架賀巳は何も関係ありませんわ。黙っていてくれとも頼んでいませんよ。もしかしたら架賀巳が全てを話してしまうかと思いましたが」
「…私が仕えるのはリリス様、リリム様ただお二人だけです。お二人を裏切るよう真似は出来ません」
 それは麗しい主従関係というには歪み過ぎているのでは。過ちを犯した主人を諌めることこそ、本当の忠誠ではないのか。ましてや仕えるべき片方の主人を殺したのが、もう片方の主人なのだから。
「だそうですから、架賀巳さんを罪に問うとしても、せいぜい偽証罪が関の山でしょうね」
「そうでしょうね。斑さん、今度は一つ私から質問してもよろしいですか?」
「はい、何ですか?」
 リリスから質問? 事の全てを行った本人にどんな質問があるというのだ?
「何故私が双子だと分かったのですか? それが分からなくては今回の事件は解けるはずもないですから。今まで誰にもばれたことはありませんでしたからね。これでも演技にはかなり自信があったのですが」
「あぁ、そのことですか。そうですね、それも説明しなくてはなりませんか」
「ええ、お願いしますわ。確かに部屋を見れば分かるかもしれませんが、何があってもいいように、部屋も気をつけていたのですけど」
「確かにリリスさんの部屋を調べて気づいたところもありますね。ですが一番の切欠は利き腕ですかね」
「利き腕?」
 訳が分からず、思わず声が出たのだろう。澪同様、皆首を傾げている。唯一、いや唯二か、リリスと架賀巳を除いて。二人は驚きと納得が入り混じったような顔をしている。
「ええ、利き腕です。この島に来てからずっと違和感を感じていたんですよ。それが何なのかずっと分からなかったんですがね、二人の死体を見て気づいたんです。
 もう理由はお分かりでしょうが、在前さんとリリムさんの死体は取り違えられていたため、首の発見後切断面が合わないという事件が起こりました。その時はただの勘違いだと思われたようですがね。それが本当は重大なことだったのですが、それはもういいでしょう。
 そのことを聞いたときふと浮かんだんですよ、右と左が違うって。その瞬間違和感の答えが分かったのです。リリスさん、あなたと妹のリリムさんとでは、利き腕が違いますね」
「ええ、その通りですわ。良くお気づきになりましたね。私は右利きで、リリムは左利きですわ」
「良く観察していれば気づくんじゃないですかね。グラスを持つとき、煙草を吸うとき、箸を持つとき、ドアを開けるとき、日常生活で利き腕を使うであろう場面で、毎回使っている腕が違うのですから、それは違和感を感じますよ。
 実際それだけなら両利きなだけなのかもしれませんが、他にも要素がありましたからね。それに子どもが小さい頃から、親の正面に座らせて生活することが多いと、その子ども親と逆の利き手になりやすいそうですから。子どもというのは目の前にあるものを、鏡のように真似をするそうなんです。そのため、親の動きを鏡のように真似をする、ですから親が右利きなら子どもは左利きになりやすいわけです。
 おそらくリリスさんとリリムさんは、幼い頃正面で向かい合うように生活していたのではないのか、何て想像しましたよ」
 安易な推測だ。だが往々にしてこういうのが当たったりするものだから面白い。
「ええ、まさにそうですわ。さすがですわね、かの名探偵も真っ青ですわ」
 …本当に当たったよ、半分冗談だったのに。
「…とにかく、そういうわけでリリスさんが双子ではないのかと思い至ったわけです。全て2着ずつある服や、手紙やメモなんかもヒントになりましたね」
「手紙、ですか?」
「ええ、失礼ながら勝手に手紙やメモを見させてもらいましてね、その中の半分だけに擦ったような後があったんです。左利きの人が横書きで文字を書くと、どうしても手が擦れて、文字がかすれるんですよ。ほとんどがそうなら別におかしくはないんですが、半分だけというのはあきらかにおかしいですから」
「本当に大したものですわね。普通の方はそこまで気づかないものですわ。気づいてもあまり気にしないものですから」
「そうでもないですよ、俺より早く気づいていた人がいましたから」
「あら、それは誰ですの?」
「そこにいる人夢君ですよ」
 視線を向けると、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに我知らぬといった顔で下を向いてしまった。本当に人前に出たり、目立つのが嫌いなようだ。
「彼は俺よりも先に違和感の正体に気づいていたようですから。彼に言われて俺もようやく気づいたんですから。ある意味、彼のお手柄です」
「あらそうなんですか、人は見かけによらないとはまさにこの事ですね」
「…たまたまです。……犯人までは分からなかった、ですから…」
 下を向いたままぼそぼそと喋る。その姿を見ながらクリスが驚きと喜びが入り混じったような顔をしている。人夢の意外な一面を知ったからだろう。
「ただ斑さん、私もリリスさんの部屋は見ましたけど、ベッドが一つしかありませんでしたよ。二人でそこに住んでいたのだったら、二つは必要なのではないのですか? それとももう一つどこかに部屋があるのでしょうか」
「ああ、そのことですか。いえ、どこにもないでしょうね。リリスさん達の部屋はあそこ一つでしょう」
「でもそれでは不便では?」
「いえ、そんなことはないでしょう。何故なら常に一人しか使わないのですから」
「?」
 意味がわからず首を傾げる凪。さて、双子は理解出来ても、これから言うことは理解出来るか。
「…私、あなたのことをまだ見くびっていましたわ。そこまでお分かりなんですね」
「ええ、おそらく。これもよく観察していれば分かりますし、何よりあなたがヒントをくれましたからね」
「あら、そうでしたっけ?」
「ちょ、ちょっと、どういうことだい!? 何二人だけの世界を作っているんだい。確かに不思議なことだけど、それがこの事件に関係あるのかい?」
「そうだよー、もうまーちゃん浮気しちゃだめ!」
 浮気って…相変わらずピントのずれた発言だな。しばらく黙ってて静かだと思っていたら、何を考えていたんだお前は。
「凛、お前は黙ってろ。それでクリスさん、これが非常に大事なことなんですよ。何故なら動機に係わることですからね」
 再び驚きが一同の間を走る。言われてみてようやく気づいたのだろう。今まで犯人や、その行動、秘密は明かしてきたが、ここまで俺は一言も動機については語っていないのだ。
 どんな事件だって動機はある。それが常人に理解できるか理解出来ないかは関係なく。
「…リリスさん、あなた達二人はある病気を持っていましたね」
「はい、そうです」
「病気? それが動機なのですか?」
「ええ、そうですね。それが大きな原因でしょうね。リリスさん、その病気とはナルコレプシーですね」
 聞きなれない単語に皆が首を傾げる。ただリリスと架賀巳はもちろんだが、人夢も驚いていない。以外に博識なのだな。
「あまり耳慣れない病気だと思いますが、比較的患者の多い病気なんですよ。ナルコレプシーとは、特定の症状を指す病名ではなく、睡眠に関する病気を総称したものなんです。俗に睡眠障害などとも言いますね。
 全く眠ることが出来ない、一度寝るとなかなか起きない、突然抗えない睡魔に襲われるなど、日常生活を送るうえで支障が出るような障害全般を指すんです。
 おそらくリリスさん達は最後の症状ではないのですか?」
 静かに頷くリリス。それはそれは大変だったであろう。
「何の前触れもなく、特定の切欠もなく、突然襲い掛かってくる睡魔。これではまともな生活なんか出来ませんよね。鍋に火をかけたまま突然眠ってしまい、そのまま焼死、なんて笑えるもんじゃありません」
「それはとても大変だとは思いますが、それがどう動機に関係してくるのですか?」
「まあもう少し辛抱してお付き合いください。双子である、そしてナルコレプシーである。これがどのように係わってくるのか。では結論から申し上げましょう。
 リリスさんとリリムさんは決して同時に起きていることは出来ない体なのでしょう。片方が起きている間はもう片方は眠っているのです。そしてその交代は突然起こる。そうではありませんか、リリスさん?」
「はい」
「どういうことですか!? そんなもの聞いたことはないですよ!」
「それはそうでしょう、この世でこんな症状を持った人はリリスさん達しかいないでしょうから。これはHOCSであることの副作用なのでしょうから」
「副作用?」
 そう副作用。
 通常では起こりえないはずの事態。
 だからこそ理解出来る感覚。
 俺だからこそ分かる事実。
「ええ、そうです。では順番に話していきましょう。
 先ほどリリスさんとリリムさんは二人一役をしていたとは説明しましたね。リリスさん達が双子であることは間違いない。そして俺たちの前には常に一人しか姿を現していませんでした。ここから導き出される結論はただ一つ、決して二人同時に出ることは出来ない。それは何故なのか。それはナルコレプシーによるためである。そのため彼女達はどちらかが起きているときはもう片方は眠りについている。
 と俺は推測したわけです。そして今その推測が正しいことはリリスさんが証明してくれました。でも何故そんなことが起こるのか? 正直なところ明確な理由は俺には説明出来ませんが、想像することなら出来ます。
 皆さんも知っての通り、HOCSとは脳に生体CPUを埋め込むことにより、超高度な演算能力を得られるわけです。ですが、何も問題なく作動しているとはいえ、未だ完全に仕組みを理解出来ていない脳組織にCPUを埋め込んで、何も影響がないものでしょうか。  詳しくは知りませんが、何件かは脳及び肉体に影響を及ぼした例もあるそうです。最悪の場合は死に至ることもあったそうです。この辺りは皆さんも耳に挟んだことはあるでしょう。
 それと同じ事がリリスさん達に起こったとしても不思議ではありません。おそらくリリスさん達に埋め込まれたCPUの影響により、同時に起きていることが出来ないという症状がでるようになったのでしょう」
「それはあり得るかもしれませんが、でも何故二人に症状が出るのです? 片方だけなら分かりますが」
「それは簡単なことでしょう。二人ともHOCSなのですから」
「!?」
「驚くことはないでしょう。HOCSであるリリスさんの双子の妹ですよ、遺伝子情報もほとんど差がないんです、リリムさんがHOCSになれないことはないでしょう。むしろ現神としては良い実験になったんじゃありませんかね」
 道徳観や倫理観などはなく、ただただ知的好奇心のみで動く存在。それは人類にとっての天使なのか、それとも悪魔なのか。
「ですが、だとしたらパートーナーはどうなるのです!? HOCSはその演算能力のせいで、脳に極度の負荷がかかるのですよ。それを和らげるために一人以上のパートナーをつくり、そのパートナーにも負荷を分けることで生きているのですよ。パートナー無しではHOCSはすぐに死んでしまう。だが彼女たちのパートナーを見たことはない。ましてや今となってはどちらか分かりませんが、片方は昔なくなっているという話じゃないですか!?」
「さすがに良く分かっていますね、澪さん。それは嘘でしょうね。彼女たちのパートナーは死んでなどいませんでした、確かにいましたよ。分かりにくかったかもしれませんが」
 木を隠すのなら森の中。では人を隠すには? それはもちろん人の中である。だがこの場合は例外であろう。人の中では人の前で隠していたのだから。
「一体どこに、いや誰だったんですか?」
「あなたもよく知っている人ですよ。分かりませんかね、今までのヒントで分かるはずなのですが」
 ヒントは山ほど転がっていた。だがそれに気づけるかどうか。常識に縛られていては決して踏み込めない領域だ。 「残念ながら分かりませんね。もう理解の限界を超えてますから。まともに頭が動く状態じゃない」
「そうですか、では僭越ながらお答えしましょう。リリスさん達のパートナーは、他ならぬリリスさん達だったのですよ」
「!? まさか!」
「そのまさかです、リリスさん達はお互いがHOCSであり、お互いがパートナーだった。通常あり得ない特殊な例だったんですよ。そうですよね、リリスさん?」
「ええ、そうですわ」
「では、ナルコレプシーの発作も…」
「負荷に耐えるためでしょうね。二人が同時に起きていたら自分の負荷に相手の負荷も合わさって、とても耐えられるものじゃない。そのため、常に片方は眠っていることにより、その負荷に耐えていたのでしょう。双子の間には解明できない、テレパシーのようなものがあるともいいますからね。あり得ない話ではないでしょう。現神が最初からこの状態を予測していたのか、偶然の産物なのかは定かではありませんが」
 おそらくは前者どであろう。でなければ、双子をHOCSにする理由などない。
 自分たちが良く知っているはずのものが、ことごとく覆されているのだ、皆の頭もそろそろ限界だろう。半ば放心したような顔つきが窺える。後少しで終わりだ、もうしばらく我慢してもらおう。
「まさにその通りですわ。しかしよくお気づきになりましたね。双子であることは気づいても、リリムもHOCSであることに気づくとは思いませんでしたわ」
「たまたまですがね。おかしいと思っていたのですよ、突然顔が真っ青になり、一人では立てないような貧血―にしか見えませんでしたが、実際はナルコレプシーの発作で睡魔に襲われていたのですけど―を起こしたのに、すぐに元気な姿で現れるのですから。それも双子ではないのか、ナルコレプシーではないのかというヒントになりましたが、なによりHOCSではというヒントになったんですよ。
 ナルコレプシーの原因がCPUであるのなら、片方だけHOCSなのはおかしいですからね。片方だけなら眠る必要はないのですから。そして二人ともHOCSならば、と考えていけば答えは一つでしょう」
「では動機とは…」
「ええ、その辺りにあるのでしょう」
 気づけば外はすっかり日が落ちて暗くなっている。だいぶ長いこと話していたようだ。足元に落ちた影が見えないほどだ。だがこれで終わりである。そしてこの事件の全ても終わる。俺はゆっくりと壁際に近づくと灯りを付けた。眩しさに皆が顔をしかめる。
「それでは最後に、動機について話ま―…」
「それは私から話しましょう」
 今まで、決して自らの口からは語ることのなかったリリスの突然の発言に場がざわめいた。
「…よろしいのですか?」
「そこまで見抜いた斑さんへのサービスですわ。それに他人が語ったところで、納得できるものでもないでしょうし」
 口を閉じると、ゆっくりと立ち上がった。自ら開いた幕は、自ら閉じるということか。そしてゆっくり口を開く。


「聞いての通り、私が実の妹のリリムと在膳さんを殺しました。そして皆さんはその動機が知りたい」
 何人かが頷く。
「よろしいです、では話しましょう。
 先ほど斑さんが説明しましたが、私達姉妹はナルコレプシーにかかっておりました。そのため、いつ眠りに落ちるか分からないため、まともな生活など出来ません。さすがに現神も責任を感じたのでしょう。この島と屋敷、そして何不自由なく生活出来る環境を与えてくれました。
 ですが、生活に不自由があることには変わりはありません。何かをしている最中に倒れるかもしれない、人と話している時―これは1回ありましたね―倒れるかもしれない。仕組みは分かりませんが、眠っている間に片方が見聞きしたことは夢で見ているので、その後入れ替わっても不都合はないんですがね」
 なるほど、あらがないとは思っていたがそんな仕掛けがあったとは。それでは誰も疑うことはないだろう。今回のようなことがなければ。
「なら何も問題はないではないじゃない。確かに不便かもしれないけど、考えようによっては人よりも倍生きているようなもんなんだから」
「そう、かもしれませんね。確かに片方が寝ている限り、深夜だろうと眠ることはありませんから。ですがそれは裏を返せば、自由に眠ることも出来ないんですよ」
 好きな時に眠れない。それはとても辛いことだそうだ。俺は不眠症になったことはないが、それは肉体的よりも精神的に辛いそうである。
「まあ眠気はやってこないので、辛くはないのですがね。でもそんなことは辛くはないのですよ。それよりも自分が自分でなくなっていくことが一番辛いのです」
「それはどういうことですか?」
「斑さんほど想像力豊かなら分かってもらえるかしら。起きているときはもちろん、寝ているときの記憶もあるのです。しかもそれはリリムの記憶ですが、リリム個人のものではなく、「霧下リリス」としてのものなのです。双子としてのリリスではなく、二人で作り上げたリリスとしての記憶なのですよ。そのため頭にあり記憶が私が体験したものなのか、それともリリムが体験したものなのか、だんだんと判断できなくなってくるのです」
 そんなことは俺にも理解出来る感覚ではない。だが自分の記憶に確信がもてない、それがどれだけ恐ろしいことなのかはなんとなく分かる。最悪死を選ぶほどの恐怖かもしれない。それは自らのものか、他者へのものか。
「それでも、リリムと話すことが出来ればまだ耐えられたかもしれない。けれど、決して言葉を交わすことは出来ないのです。たまに手紙程度ならありますがね」
 相手との確認が出来ることはなく、ただただ一方的な情報の押し付け。それはさながら頭の中で、自分以外のものが語りかけてくるようなものだろうか。
「どんどん自己がなくなっていく、その恐怖と私は日々戦い続けていました。ですがそれももう限界でした。だから私はリリムを殺すことを決めたのです。
 もちろんリスクは高いです。異常とも言える共振関係にある私達ですから、片方が死ぬことでどんな影響があるかも分かりませんし、負荷に耐えられるかも定かでない。犯行がばれないように工作もしなくてはなりませんし。結局はあなたに全て明かされてしまいましたがね」
「…それでは、今回の事件の動機は……」
「ええ、私霧下リリスとしてのアイデンティティを取り戻すためですわ。
 そのおかげで身は滅ぼしましたが、何も後悔はしていません。たとえ日の差さない檻の中の生活を強いられるとしてもかまいませんわ。その全てが私のものなのですから」
 その時リリスが浮かべた表情を表現するのなら、まさに至福の表情なのだろう。誰にも理解されぬ、理解してもらうことをはなから拒否しているからこそ出来る表情。それは荘厳なまでに美しく、霞のように儚かい。
「斑さん」
「…何ですか?」
 リリスの顔を見ることが出来ない。見たら引き込まれるのではないか。その底知れぬ深い目をみてはならない、生きて帰りたくば。
 体が震える。
 これは恐怖か。
 恐ろしい。
 これは人なのか。
 これが人ならば、俺は人をやめる。
「生きてるって、楽しいですわね」