意味のない終章
1
一歩外へ出ると、そこは一面の青空が広がっていた。来た時も抜けるような青空だったが、帰る時も清々しい天気に恵まれた。
だがその間この島で起こったことは、この青空が全く似合わないことだった。それを思い返すと、まるでこの空がこの島の住人たちを嘲笑っているかのような気になってくる。
どうにもネガティブになっている。ようやく帰れるのだ、もっと前向きにならなくては。なくしてこそ平穏の素晴らしさは分かるものだ。
「長かったねー、もうへろへろだよまーちゃん」
「実際1週間も経ってないんだがな」
事件を解き明かしたあの時から2日が経っていた。あの後すぐに本土に連絡したが、船がやってくるまでこれだけ掛かったのだ。改めてとんでもない所にいたのだと実感した。
全ての謎は解いたが勝手に人を裁くわけにもいかないので、本土から現神が到着するまで、リリスは監禁しておくことになった。全てが明るみに出た以上、リリスが更なる犯行を犯すとも思えないが、万が一を考えてである。それにリリスも抗うことはなく、静かに2日間が過ぎた。
先程到着した現神の特派員により、リリスの取調べが行われた。今後リリスがどのような扱いになるのかは分からないが、少なくとも自由はないであろう。もっともパートナーを失ったその身体が長く持たないかもしれない。
一つ分かることはこの先彼女との縁が交わることは決してないだろう、ということだけだ。とても短い付き合いでしかなかった。だがその存在は消し去ることは出来ないであろう。
「あっ、あの船かな。来た時よりも大きくて、乗り心地よさそうだね」
港まで歩いてくると、そこに巨大な一隻のクルーザが泊まっていた。リリス以外の人達は、全員この船で帰すそうで、準備の終わった者から乗り込むようにと言われたのだった。またこの島は半永久的に閉鎖するそうで、使用人達も全員出て行くことになった。こんなことが起こっては無理もない。
「じゃあ私は先に乗ってるねー。まーちゃんはどうする?」
「一服したら乗るから先に行ってろ」
「はーい」
船に乗り込む凛を見送ると、煙草に火を点ける。大きく息を吐き出すと、紫煙の向こうに人影が現れる。
仕えるものがいなくなったというのに相変わらずの服装だ。間違えようがない、架賀巳だ。
「この度は大変ご迷惑をお掛けしました」
「いえ、架賀巳さんこそ。それで架賀巳さんは…」
「私は特に処罰はありませんでした」
「そうですか、それはよかったですね」
「ええ、実際ぎりぎりまで気づきませんでしたから。偽証も何もないです。もしかしたらとは思ってはいましたが…」
「そうですか、リリスさんは全て黙っていたのですね」
「はい、私が裏切ると思っていたのでしょうか。だとしたら私はあの方に信じられていなかったのでしょうね…」
うつむき震える架賀巳。その姿からは以前のような凛とした強さは感じられなかった。今回の事件で架賀巳が受けたダメージは余程大きかったのだろう。自分の存在意義を奪われたようなものなのだから。
「…そうでしょうかね」
「えっ?」
「リリスさんがあなたに全て黙っていたのは、あなたを信じていなかったからではなく、その逆だったからではないでしょうか」
「どういうことですか?」
「黙っていたのは、あなたを巻き込みたくなかったからではないでしょうか。全てを話し、あなたに協力を頼んでしまえば、もし露見した時あなたまで罪に問われてしまいます。長年仕えてくれたあなたを犯罪者にするわけにいかない、それは信頼と愛情がなければ出来ないのではありませんか? あの人はそういう人ですよ」
そうかもしれない。だがそれはそうともとれるというだけだ。こんな言葉、その場しのぎの方便に過ぎない。たかが戯言だ。人を傷つけるしか出来はしないのに、人はそれにすがる。
「…斑様は嘘吐きですね」
「そうですか?」
「そんなこと思ってもいないのに。でも、優しい嘘吐きです」
戯言は所詮戯言だ。だがそれで救われることもある。
「大丈夫ですよ、これぐらいでまいりはしませんから。私が仕えるのはあの方だけです。あの人が帰って来るまで辛抱強く待っています」
「そうですか、それもまた一つの道でしょう」
「ええ。本当凛様が羨ましいですわ。こんな人がいつもそばにいて」
「それは買い被りというものです。俺はしがない一学生ですから」
「…そんなとこもまたいいんですがね。もっと早くお会いしたかったです」
そういうと架賀巳は俺の頬にキスをした。思わず腰が引ける。
「色々とありがとうございました。ではお先に失礼します」
頭を下げると、走るように船に乗り込んでいった。まさかあの架賀巳がこんなことをするとは。さすがにそこまでは読めなかった。
煙草を咥えようと持ち上げると、すっかり短くなっていた。足で揉み消すと、2本目の煙草に火を点けた。気を落ち着けるためゆっくりと息を吐く。その紫煙の向こうに再び人影が見えた。
クリスと人夢だ。
「駄目だよ浮気は、斑君」
「そ、そんなんじゃないですよ。何もやましいことはありません」
「そのわりにはうろたえてるし、鼻の下がのびてるよ」
見られていたのか、とんだ失態だ。
「…それに顔も真っ赤…」
人夢までからかってくる。こういうキャラだけっか?
「まあ凛ちゃんには黙っていてあげるよ。それにしても大したもんだね。あんな事件を解決しちゃうんだから。最初はそんな凄いやつには見えなかったけどね」
ではどんなだったのだろう。どうせろくでもないないんだろうから、聞く気はないが。いかんなー相変わらず発想が暗いぞ。
「たまたまですよ、運が良かっただけです。それに俺より早く分かっていた人がいましたし」
「へー、それは誰だい? 架賀巳ちゃんじゃないよね」
「もちろん」
「じゃあ誰なんだろう。凪さんや澪君は分かってる様子はなかったし…。あっ、茉莉華さんかな?」
全く気づいていないようだ。少し可笑しくなる。
横で見ている人夢の表情も笑いを誘う。さっきのおかえしとばかりに笑顔になる。やられたらやりかえせだ。
「いえ、違いますよ。答えはそこにいる人夢君ですよ」
「えっ!? 人夢が!」
「ええ、そうです」
余程信じられないのだろう。目がこぶし大に大きくなっている。普段のクリスの過保護ぶりを見れば分からなくもないが、さすがにひどすぎないか。
「そうでしょ、人夢君?」
「……うん」
「人夢君の一言がなかったら、俺にもこの事件は解けませんでしたよ。おそらく最初の殺人の時に、すでに予想していたんじゃないかな」
「……なんとなくね。…でも確証は、なかったから…」
だとしてもたいしたものである。そのころ俺は全く分かっていなかった。それどころかただうろたえているだけだったのだから。
「それはすごいですね、隠れた名探偵ですか」
突然の声に三人が後ろを振り返る。そこに立っていたのは凪だった。事件も終わり、この数日で落ち着いたようだが、まだその表情からは疲れと悲しみが抜けきれていない。彼の中で区切りがつくのはまだ先のようだ。
「もしかしたら、あの時あそこで話していたのは斑君ではなく、人夢君だったかもね」
「…それは、ないです…」
「凪さん、いつの間に」
「へーそれは誰だいの辺りからかな。そこの木の陰でこっそり」
それじゃほとんど最初からじゃないか。しかもこっそりって、そんなキャラだったっけ?
「盗み聞きは良くないよ」
「そう言われても、貴方たちの声は大きいんですよ。特にクリスさん。逆に人夢君は小さすぎなんですけど」
「これでバランスが取れてるんだろうね。きっとこいつがもっとはきはきしたら、私ももう少し大人しくなるかもよ」
「…おしとやかなクリスさんか…、見たいような見たくないような…」
「…豚が空を飛ぶより、想像出来ない……」
「どういう意味だい!」
一目散に逃げる人夢を追いかけるクリス。クリスは相変わらずだが、最初の頃よりも、人夢は明るくなったようだ。それとも無理をしているだけなのだろうか。周りを気遣い明るく振舞っているのかもしれない。彼ならあり得る話だ。
だがそれがあんまり効果を成していないのも彼らしい。
「…行ってしまいましたね」
「…ええ、凄いですね」
「いつもあんな感じなんですかね。だとしたら人夢君は本当に大したものだ」
そんなに凄いかな? うちもあんなもんだが。もちろん立場は逆だ。
「それはそうと斑さん、今回は本当にありがとうございました」
「そんな頭を下げないで下さい。俺は何にもしていませんよ」
「いえ、君がいなかったら、僕らでは決して解けなかったでしょう。清香の仇を取れたのは君のおかげです。本当にありがとう」
「顔を上げて下さい。たまたまですから、本当。俺も許せなかっただけですよ、命を奪うことが。それが結果としてこうなっただけですから」
「…それでも私にとっては救いでしたから」
「そう思って頂けるだけで十分ですから。あの、これから凪さんはどうなされるのですか?」
「しばらくはのんびり休養します。落ち着いたらまた仕事を頑張りますよ。あの会社は私と清香の二人で作り上げたものですから、こんなことでつぶしてしまっては、清香に怒鳴られますよ」
心に支えがあるのならば、彼は大丈夫だろう。立ち直るのにまだ時間は掛かるとして、必ずそれはやってくる。亡き人の思い出は、人を痛み苦しめるが、同時に助けもするものだ。
「そうですか、頑張って下さい」
「斑さんも頑張って下さい。何かの時は来て下さいね、IT関連ならほとんどフォローしてますから」
「その時はお願いします」
「では私は一足お先に乗りますか。ではまた」
軽く会釈すると、凪は船に乗り込んでいった。気づけばまた煙草が灰になりかかっていた。また一本無駄にしてしまった。
あきらめ新しい煙草を取り出す。火を点けようとしたが、ふとその手を止めた。このパターンだと、また誰か来るんじゃ―。
「おや、まーさんじゃないですか」
やっぱり。
「澪さん、泉黄さん」
そこに現れたのは澪と泉黄の二人だった。相変わらずの熱々ぶりである。まったく手なんか繋いじゃって、ご馳走様です。
「これでこの島とはお別れなんですね。色々ありましたけど、何か寂しいですね」
「そうですね、おそらくこの島にはもう来れないでしょうし。でも皆には何時でも会えますよ」
「そうだよ、別れもあったけど良い出会いもあったじゃないか」
「そうね、今度凛ちゃんとはゆっくりお茶がしたいわ」
「じゃあ俺たちは酒でも飲もうか、まーさん」
「いいですね、いつか必ず」
「ふふふ、今から楽しみだ。じゃあ僕らはそろそろ行くとするか。まーさんにはこの後があるし」
「ええ、そうね」
「?」
「それじゃ、またね」
笑顔を置いて二人は行ってしまった。さっきの言葉は一体何だったのだろうか? これ以上何があるというのか。
不思議に思い首をひねっていたが、その答えはすぐに分かった。屋敷の方から数名の人影が現れた。小柄な人物の周りを数人で囲むように歩いてくる。
リリスだ。
リリスを連れた一向は俺の目の前で歩を止める。
「…5分間だけだぞ」
一言残し、周りの男達が去っていった。今目の前にいるのはリリス一人だけだ。喉が渇く、飲み込んだ唾の音がいつもより大きく聞こえる。
「…そんなに緊張なさらないで下さい。何も取って食ったりはしませんよ」
「…そりゃそうですよね、これは失礼しました」
「ふふふ、そうやって軽口をたたいている方が貴方らしいですわ」
「あんまり褒められた気がしませんね」
「ふふふ、素直じゃありませんね」
まさか今更彼女と話すことになるとは。何が目的なのだろうか、もう全ては終わったはずなのに。解決編が終わった物語の最後に、犯人が話を動かすなんて聞いたことがない。
「時間もありませんし手短に済ませますね。この度は色々ご迷惑をお掛けしましたね、申し訳ございませんでした」
「い、いや、謝られても…」
いや、罪を犯したんだから謝るのは普通なのか? 常識の通じない島に、常識の通じない人物、頭が混乱するばかりで何もまとまらない。
「私のせいで皆さんには嫌な思いをさせましたから。それにあなたには面倒な役割を押し付けてしまいましたからね」
「そう、でもないですよ。なかなか貴重な体験が出来ましたから」
「それなら良かったですわ。本当あなたには感謝してますわ。あなたがいなければ私も困ったでしょうし」
感謝? 自分の罪を暴かれたのに、何故その張本人に感謝するのだ?
「それはどういうことですか?」
「あなたがいなければもう何人か死んでいたでしょうし、ふふふ」
「いや、だから―」
「時間だ」
いつの間にかさっきの男達が立っていた。リリスの腕を取ると、有無を言わさず連れて行く。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「―もう二度と会うことはないでしょうね。お元気でね、斑さん。凛さんを大切にね」
そのまま一度も後ろを振り返ることはなく彼らは去っていった。俺たちとは違う船に乗るからもうさっきの続きは聞けない。何が言いたかったのだろうか。
俺に感謝?
理解出来ない。
凶行を止めてくれたから、とか言うことなのか?
それならば分からなくもないが。
それとも最後に意趣返しのつもりか?
まるで呪いだ。
これでは忘れたくとも忘れられないではないか。
「どうしたの斑君、怖い顔しちゃって」
突然の声にびくりとする。ゆっくりと振り返るとそこには茉莉華が立っていた。
「まだ行かないの? もう皆行っちゃったわよ」
「…そうですか、すぐ行きますよ」
「私が最後みたいだから、早くした方がいいわよ。あ、これで斑君が最後か。あんまり皆を待たせるんじゃないわよ」
「…ええ、分かったます」
「それじゃ先行ってるわね」
歩き去る茉莉華を見送ると、俺は手に持っていた煙草に火を点けた。ゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐き出す。ようやくちゃんと吸えた。
吐き出した煙を目で追っていると、少しずつ落ち着いてくる。
何も悩むことなどないではないか。もう全ては終わったのだ。何を言ったって、人が考えていることを完全に理解出来るわけなどないのだ。偉そうな学者が、小難しく解説したところで、心理分析なんて所詮はこじつけに過ぎない。
あの時リリスが何を言いたかったかはもう二度と分からないのだ。ならば悩むだけ無駄だ。俺が納得できる答えを、適当に見繕えばいいだけの話だ。
俺は短くなった煙草を踏みつけると、船に向かい歩き始めた。
とにかくこれ終わりだ。
早く帰ろう。
2
潮の匂いが混じった風を浴びていると、気持ちが落ち着いてくる。船は島を離れて、そろそろ1時間というところか。リリスを乗せた船は別航路を取っているので、その姿を見せることはない。
ようやく全てが終わった実感が沸いてくる。行きは気が重くてしかたなかったが、今はなんとも晴れ晴れとしている。のんびりと船旅を楽しむ余裕が出てきた。
「…はぁ、青い空に白い雲が映えるね……」
煙草をふかしながら、見るとでもなく空を眺めている。心が洗われるようだ。
「斑君」
突然の声に煙草が口から落ちる。そのまま海へと消えていった。
あー…もったいない、まだ半分近くあったのに…
「何悲しい顔して海を見てるの?」
「…いえ、何でもないです」
まさかそんなことを考えてるとは、口が裂けても言えない。あまりにも悲しすぎる。
「そんなことより、何のようですか茉莉華さん?」
「ああ、あのね、凛ちゃん知らない?」
「凛ですか? いえ、こっちに来てませんが。あいつがどうかしたんですか」
「ちょっと話があったんだけど、見失っちゃって。でも何か様子が変だったけど」
「変?」
ざわめく。
「さっきちらっと見かけて声掛けたんだけど、そのまま行っちゃったんだよね。私に気づいてるみたいだったんだけど。いつもなら笑顔で駆け寄ってくるのに。具合でも悪かったのかしら」
何かがざわめいている。
「まあいいわ、見かけたら私が探してるっていっておいて」
「分かりました」
お願いね、と言い残すと茉莉華はそのまま船内に戻って行った。それとは入れ違いに凛が影から現れた。まるでそこで出るタイミングを窺っていたみたいに。
「何だ、そこにいたのか。茉莉華さんが探してたぞ」
「あれ、そうなの? じゃあ入れ違いになっちゃったね」
何も疑いがないような笑顔で語りかけてくる。その様子は普段と何ら変わった様子は見受けられない。
「じゃあ、後で行こうかな。まーちゃんは何してたの?」
「ん? 何も。ぼーっとしてた」
「あはははは、まーちゃんらしい」
相変わらず良く笑う奴だ。いつもより笑ったいるんじゃないか。まるで何かを隠すように。
「それで」
「うん?」
笑顔の下に何か隠し、射抜くような目でこちらを見てくる。
「お前は何してるんだ、凛。いや…」
その身に違うものを飼っているかのように。
「命」
「…なんだ、ばれてたのか」
さっきまでとは打って変わって、声がぐんと低くなる。いつものような無邪気な明るさはなく、その声はまるで全てを凍てつかせる吹雪のようだ。
「当たり前だろう、凛が茉莉華さんを無視するわけないからな。最近情緒不安定だったし、そろそろかとは思っていたからな」
「相変わらずの名探偵ぶりだな。さすが私のパートナーだ」
「…俺は凛のパートナーだ」
近くの椅子に座った命を睨む。
「そんなに嫌がるなよ、同じことだろう。何せ二人とも同じ脳を使ってるのだからな」
解離性同一性障害。俗に言う多重人格者、それが凛の正体だ。
俺と出会った時にはすでにそうであり、その秘密を知るものは少ない。茉莉華さんやじいやさんですら知らない。知っているのは現神上層部と俺ぐらいだろう。
何故そうなったのかは分かっていない。何故ならいつ頃からなのかが分かっていないからだ。多重人格になる者の多くが、幼い頃虐待を受けた経験がある。その時にその痛みから逃げるため、自分の中にもう一人の自分を作り出すのだ。今虐待を受けているのは自分ではなくこっちの子だ、と思い込むためにである。それが続くと、今度は自分を守ってくれる人格や、他人だけでなく自らも傷つけるような人格も作り出してしまう。そのため、解離性同一性障害の患者には、数名の人格があるのが普通だ。よく二重人格と言うが、ケースとしては珍しい。
では凛がそうだったのかというと、いまいちはっきりしない。確かに凛は捨て子だった。だが現神によって拾われた時はまだ一歳半程だったそうだ。虐待を受けていた痕跡はあったそうだが、果たして一歳半の幼児が他人格を作り出せるのだろうか。
それに、何よりも凛には他の要因がある。本来HOCSとなるには年齢制限があるのだ。一歳に満たないうちに脳にCPUを埋め込まないと、正しく動作しないのだ。だが、気の迷いなのだろうか、何故か現神は一歳を超えた凛にCPUを埋め込んだ。それは動くことはなく、本体が死ぬまで眠り続けるはずだった。
だが、何故かCPUは動作してしまった。
そして凛はHOCSになった。
動かないはずのCPUが動いたため、現神は騒然となった。それから凛は実験、検査の毎日だったそうだ。そのせいで他人格が出来たのか、無理をしてCPUを入れたために出来たのか、理由ははっきりしないが、十分な素養はある。
未だはっきりとした原因は分からないが、凛が多重人格であるのは間違いない。そしてその人格はあまりまともとは言い難かった。
「うーん、久しぶりに出てきたせいか、身体が上手く動かないな」
「…だからって、そんな大股開いて座るな! 見えてるぞ!」
「別に減るもんじゃなし、気にするなよ。あ、何だ見たいのか、だったら早く言えよ、私とお前の仲だろ。遠慮なんかするなよ、ほれ」
「めくるな!!」
人に危害を加えるような真似はしないのだが、とにかく常識がない。さらに好奇心の塊で、とにかく興味を引いたものは何でも首を突っ込み場を荒らす。まさにトラブルメーカーだ。しかも困ると凛に戻るもんだから、後始末は全部俺にやってくる。考えようによっては人に危害加えまくりか。
これで命なんて名前なんだから笑わせてくれる。これは本人が付けた名前らしいが、まったく。
苗字と続けると「月詠命(つくよみのみこと)」だからふざけている。これのどこが月詠命だ。どこが女神だ。
「ったく、凛もひどいがまだ人前じゃやんねーぞ」
「気にするなよ、誰もいないんだし」
「いつ来るか分かったもんじゃないだろ、はー」
これならまだ凛のほうがましか。声に迫力があるだけに、余計調子が狂う。
「しかし、なかなか面白い事件だったな。しかし二日でわかるんだから、やっぱり対したもんだな」
「たまたまだよ、考えれば誰でも分かる」
「だが他のやつならどれだけ掛かったやら。あれはお前だから分かったんだよ。間違いない、あれは斑、お前の事件だよ。何せ答えが目の前にいるんだからね」
そうなのだ、だから俺はあの事件を解けたのだ。
向こうは二人一役、こちらは一人二役。
違いはあるが本質は一緒だ。
通常あり得ない、特殊な状態。
だが俺には見慣れ、慣れ親しんだもの。
分からないはずがないではないか。
「まあおかげで早く帰れるんだから良かったがね。帰ったらひさしぶりにいちゃいちゃするのもいいかな」
「誰と誰がだよ」
「俺とお前だよ。何を今更照れてるんだよ、何回も体を重ねた仲だろ」
「…あれはお前とじゃない、凛とだ」
「おいおい、私だって感じりゃ喘ぐさ。あの頃のお前に私と凛の見分けが付いたのかい? その時の凛が私じゃないと断言できるかい?」
HOCSがパートナーを決めるとまずするのが負荷の分担だが、その方法が特殊なのだ。色々実験した結果、お互いに負担なく同調するには性交が一番だったのだ。
相変わらず理由などは何も分かっていない。とにかくHOCSにはブラックボックスが多いのだ。
とにかくそんなわけで、俺は凛を抱いた。実際は一度でいいのだが、あの頃は若かったので、何度か事に及んだのだ。
「…………」
「そんなに睨むなよ。私の方が凛よりテクニックはあるぞ」
「…そんなこと気にしてない」
「なんだ、その年でもう枯れちまったのか? 情けないねー」
「余計なお世話だよ。大体お前が何で今頃出てきたんだよ。予兆は何度もあったから、途中で出てくるんじゃないかと思っていたが、結局最後まで出なかったじゃないか。
お前が事件に首突っ込まないなんて珍しいこともあるんだな。凛が見聞きしたことはお前には分かるんだから、面白いことはもう何にもないだろ」
「…ふふふ」
ぞくっ。
体が震える。
目が合う。
だがすぐ逸らす。
怖い。
そう、俺は怖い。
あの全てを見透かす目が。
暗く濁り、見通せない目。
なのに奥で光る目。
全てを。
全てを知っていると伝える目。
俺の過去を。
俺の秘密を。
俺の恐怖を。
俺の罪を。
だから。
だから俺はこいつが嫌いなのだ。
「――なんだよ」
「いや、素直に愉快だったからだよ」
やめろ、そんな目で見るな。
リリスを思い出す。彼女の目もこんなだった。
「何がだよ、どうせ俺にあんな舞台は似合わないさ。道化とでもいいたいのか」
「まさか、お前ほど似合う奴はいないさ。私が愉快なのは、お前があんまりにも楽観的だからだよ」
「それは、どういうことだよ?」
予感。
そうそれはまるで、足元を力ずくでひっくり返されるような。
目に入る世界の真実の姿を見せられるような。
「本と運いあれで全てが終わったと思うのか? いや、あれはもう終わった。だがあれが本当の結末だと思っているのか?」
「なんだよ、俺の推理にけちつけるのか。大体リリス本人が認めたじゃないか」
「犯人も、犯行方法も間違いないだろうよ。だが、本当にリリスがあんなことのために犯行を犯すと思うか? あれがそんなたまに見えるか?」
「そんなこと俺達に、はっきりと分かる訳ないだろう。他人の考えてることが完全に分かるか」
「まあな、けど限りなく近い所までは分かるんじゃないか。良く考えてみろ、あいつの言い方だと上手く逃げ切って、新たな人生を送るみたいな感じだったろ」
「確かに」
「でも本当に逃げ切れると思うか? 都会のど真ん中で起きた事件じゃあるまいし、あんな絶海の孤島、しかも現神が管理する島だぞ。どうやって脱出すると言うんだ。定期船以外訪れる船もないのに」
「…こっそり紛れ込む」
「はははは! 本気でそんなこと考えてるのか。そんなわけないだろう、もう一度言うぞ、あの現神の管理下にあるんだぞ、こんな事件が起きて犯人も不明、そんな中こっそり紛れ込むなんて不可能だ。そんなことはリリスの奴も良く分かっていただろうよ」
「……」
何が言いたいのか分からない。もう終わったことだろう、これ以上引っ掻き回してどうするんだ。
「逃げ切れるはずがないのは分かっている。ただお互いの存在を疎み、打開したかったのは事実だろう。では自暴自棄になった、玉砕覚悟で事を起こしたのか。いや、それはないね。リリスがそんな奴じゃないのはさっきも言った。あにプライドの塊のような奴が、そんな安易な考えで行動を起こすものか」
「じゃあ、何だって言うんだよ」
「おいおい、お前ともあろうものが分からないって言うのか。もっと頭使えよ、適当に頑張って逃げるなよ、最後の最後まで納得するな。分からないことを、納得出来ない事を放置するな。本当は分かっているはずだ、だが理解出来ないから否定してるだけだ。あいつらにあんな啖呵切ったお前らしくもないぞ、斑」
「…だから、何が言いたい」
「そう起こるな、仕方ないなお前の代わりに答えてやるよ。あれは殺人事件なんかじゃない。
あれはひどく壮大で、甚だ愚かで、ただただ迷惑な自殺だよ」
視界が揺れる。
ショックで体が動かない。
驚いたからじゃない。
分かっていたからだ。
ただ理解出来なかった。
俺が理解出来ないことを、人に説明出来るか。
だから隠した。
知らない振りをした。
でもこいつには全てお見通しか。
だから。
だからこいつが。
だから命が怖い。
「殺人を犯して逃げれるはずがない、それを逆手に取ったんだよ。あの島で人を殺せば必ず捕まり裁かれる。それがリリスの狙いだったんだ。後はもう分かるだろう」
「…あぁ、あの異常な生活に疲れていたのは間違いない。だが片割れを殺したとしても、普通になる保障はない。なったとしても長く生きれるかの確証もない。だがもううんざりだったんだろう、なんとかしたかった。だから、死を選んだ」
「そういうこと、だがあいつらのプライドでは自殺なんて恥ずべきことだった。だから誰かに殺したもらいたかったんだよ。おそらくリリス一人でなく、リリムと二人で決めたことだろうな。リリムはリリスに殺される。リリスは司法の手、もしくは誰かの恨みよって殺される。二人とも自分以外の者に殺されるわけだ、これは自殺ではないかもな。まあ私から言わせたら、大した違いなんかないがな」
そうなのだろう、あの時のリリス達の思考を完全にトレースすることは出来ないが、間違いはないだろう。だからこそ、あの時、最後に出会った時感謝したのだろう。
願いを叶えてくれてありがとうと。
誰かに告発されることもシナリオのうちだったのだろう。もし、誰も分からなければ、少しずつヒントをまぶして犯行を重ねただろう。誰かが気付くまで。
俺は彼女達の手のひらで泳がされていたわけか。まさに道化だ。
「在膳が殺されたのは、体付きが似ていたのもそうだろうが、たまたまだろうな。それか凪の存在があったからかな。ああいうタイプの方が一度切れると手が付けられないもんだ。実際そうだったしな。なんにしろあれが一番哀れだな」
「…あんまり死者を冒涜するな」
「はいはい、お優しいことで。まあそういうわけだよ。お前がはっきりしないからわざわざしゃしゃり出てきたわけだ。もう何も出来やしないから、全てあの双子の思惑通りになっちまったのがしゃくだがな」
今度こそ終わりか。終わらせなくてもいい終わりだが。
「なんて長いこと語ってみたが、全く意味なんかないんだけどな。ただ私達を納得させた気にさせるだけのものだ。所詮戯言かな。どこかの精神的引きこもり野郎の台詞じゃないがね」
「そうだな、意味なんかないな。この事件の全てに意味なんかない」
「私がそれなりに楽しめたくらいかな。それに久しぶりにお前と話せたしな」
しおらしいこと言ってるんじゃないよ。お前らしくもない。
「うーん、これだけ喋るのも久しぶりだから疲れたな。そろそろ戻るかな」
「そうしとけ、凛はお前の存在しらないんだ、あんまり長いブランクを作ると後で辻褄合わせで大変だ」
「あんまり気にする奴でもないがね、凛は。それにそれはお前の仕事だし」
「だからだよ、このあんぽんたん」
「ふふふ、冗談冗談。さてこれでしばらくお別れだ。何か言いたいことはあるかな?」
「ねーよ、何にも。どうせお前はいつも凛の中から見てるんだし」
「そうだな、じゃあお別れのキスとか」
「しない」
「ったく相変わらずつまらん奴だな。まあそんなとこも気に入ってるんだがな。今度はいちゃつこうぜ、ベッドの上でもな。じゃあまたな、愛してるぜ、斑」
「うざいことのたまわって消えるな、この馬鹿」
「馬鹿って何よー、ひどいよーまーちゃん!」
「ん、ああ、すまない。気にするな」
「気にするよ、うわーん!!」
最悪のタイミングで変わりやがって。おかげでフォローする手間は省けたけど。
「お前に言ったわけじゃないさ。ただの独り言だ。悪い悪い」
「本当?」
「本当」
「じゃあ、キスして」
「…なんでそうなる」
「してくれなきゃ皆の前で、まーちゃんに泣かされたーってわめく」
「…それを世間じゃ脅迫って言うんだよ。はいはい、分かりました。こっち来い」
「うん♪」
近づいてきた凛に口付けをする。ゆっくりと優しく。体の中に溜まったしこりを落とすかのように。まるで贖罪のように。
どれだけ時間が経ったか、凛からゆっくりと唇を離していった。
「…うふ、元気出た」
「それはそれは良かった」
「やっぱりまーちゃん、大好き!」
「俺も好きだよ、見てて飽きない」
「それどういう意味! もう失礼しちゃう!!」
「ふふふ、そういうとこだよ」
「もうーぷん!」
「斑さーん、凛ちゃーん、架賀巳さんがお茶入れましたから、如何ですかー?」
「あっ! 泉黄ちゃんだ、お茶だってよまーちゃん、行こう」
「ん、そうだな」
「わーい♪」
凄い勢いで泉黄の元に走っていく凛。それを眺めながら一息付く。無性に煙草が吸いたくなった。
「先いってるよーまーちゃーん」
「ああーすぐ行く」
船内に入っていく凛を見送ると、煙草に火を点けた。吐き出した紫煙が空に消えていく。
戯言か。リリス達の行動が戯言と言うのなら、俺達とそんなに変わらないじゃないか、命。
生きていくってそんなもんじゃないのか。彼女達は死を選んだが、そこに至る過程は俺達の生き方とそう変わるものじゃない。
だから人は群れる。
だから人は嘆く。
だから人は怒る。
だから人は笑う。
だから人は泣く。
だから人は生きる。
「…それこそ戯言か」
煙草を海に投げ捨てると船内に向かい歩き出した。
少なくとも俺は死を選ばないだろう。あいつがいる限りは。俺の居場所はあいつのそばにしかないのだから。そこに佇むしかない。
それもまたい良いさ。
好きなんだからしょうがない。
笑わない僕、笑えない君
完